そこに在る

畳の上に広げられた大きな巻物の端に、三科琢美さんは、ぽつんと座っていました。まるで紙に吸い寄せられているかのように。背筋をわずかに丸め、じっと一点を見つめたまま、手だけが滑るように動いています。ペン先と紙が擦れる音が、わずかに響く静かな部屋。その姿は、何かに取り憑かれたようでもあり、何かを手繰り寄せているようでもありました。
「描いているというよりは、描かされてると感じる時があります」 彼のキャンバスは、広告の裏や紙袋の切れ端など、日常に埋もれていた紙たち。つなぎ合わされたそれらは、黒々とした線で覆われ、どこまでも這い回るように広がっています。道具は油性ペン、ボールペン、墨。決して特別な材料を使っているわけではありません。それでも、三科さんの手にかかると、それらはまるで生命が宿ったかのように、ゆっくりと息をし始めるのです。

「“終わり”という考えがないんです」。描き足し、貼り足し、そして描き直す。その繰り返しのなかで、作品は日々、少しずつ形を変え、生まれ変わり続ける。立体作品もまた同様に、ちぎった紙をのりで固め、線を重ねて形づくられていきます。『線の生命体』と名付けられたそれは、絵でも彫刻でもない、けれど確かに“生きている”形を成している。
「自分の顔を誰にも見られたくなくて、ずっと部屋にこもって線を描いていました」
アトピー性皮膚炎に悩まされ、人目を避けて過ごした思春期。鏡を見ることすら嫌で、ただ手や顔に浮かぶ湿疹のようなイメージを細い線で紙に描き続けた日々が、自分のアートが生まれた原体験だったと話す三科さん。ただ描くことだけで何かが少し軽くなっていった感覚があったのだといいます。

「絵を描いていて感動する瞬間って、1日に1回あるかないか。1週間まったくないこともありますけど、その一瞬のために描いているんだと思います」
時折、描かれた線の中に、人の顔や、身体の曲線のようなものがふと浮かび上がることがあります。「でも意識して人を描こうとすると、いい線が描けなくなってしまう」。形を求めた瞬間、線は息を止めてしまう。だから彼は、意味を決めず、ただただ無心で線を刻み続けています。

わからなさや迷い、不安定さを抱えたまま、それでも描き続ける。三科さんの線には、名づけられない感情や、言葉になる前の衝動のようなものが、確かに在ります。